本来ネットブックは、情報を軽く検索してサラッと眺めるためにあるのだと思ってました。各自が持つ計算機資源のなかで、ビューアーとして位置づけられる感じ。
でも、近頃、ネットブックを1台目のパーソナルコンピュータとして買う人が増えているという話を何度か耳にしました。先日もビッカメの売り場で、「初めてのパソコン」と言っている人がいました。
ビューアーだけ買って、ナニを見るんじゃ? と、一瞬思うわけですが、もうすでに見るべき情報は山ほどあるわけですね。ネット経由でじゃぶじゃぶ送られてくるし、手元でもデジカメやHDレコーダがギガ単位で生産してくれます。PCに向かってシコシコ作業しなくても、デジタルな情報は消費しきれないほど手に入っちゃう。
現状を追認するだけならば、話はそこで終わりなんですが、ワタクシ的に興味があるのは、ネットブックに向かってシコシコ作業して情報を「生産」する方向性ってのはアリなのか、ということです。フル仕様のリッチなPCと単純な比較をしたら、効率を犠牲にする選択肢という結論にしかならないと思うのですが、日用品感覚で使えて、やりようによってはかなりヘビーなこともできるというネットブックの道具としての自由さがいい方向に作用すると、ちょっと新しい感じが出てくるのかな、と思ったりしているのでした。
あ、進んでいる人はもう、そういう境地に到達してるのかもしれませんね。ワタクシは携帯電話やネットブック的なコンピュータに対してアンチな気分のときもあって、わりとゆらゆら揺れてるんです。「ネットブックとか全部窓から投げ捨ててやるー!」とビッカメの4階で思うこともたまにあります(もちろん思うだけです)。そういうアンビバレンスを解消するために、もう少しちゃんと使ってみて、いちおうの結論を出したいと思います。
>そういうアンビバレンスを解消するために、もう少しちゃんと使ってみて、いちおうの結論を出したいと思います。
私は、普通にjavaが使えず、レイアウトが好きなように変えられない、携帯なんて、ない方がいいと思っています。
ネットブックの前に、ノートブックすら使えません。
電子辞書もそうかな。
ユビキタスより大事なことがあるのに、、
実際、ほとんどのユーザーさんは「ビューワー」があれば十分なのだと思いますよ。使い道はSNSとちょっとしたニュース羅列方ネタブログを見るくらいで、特に寝転んだ場合、14インチのノートよりも10インチのネットブックの方が一気に全部の画面が見渡せて疲れにくく、キーボードはちょっとしたフォームに打ち込める程度のものが付いていれば良いのです。
ただ、仕事にもそのノリでは困りますね。ワタクシの場合、プライベートだけでなく、仕事でも300dpi程度の紙出力画像をいじることが多いのですが、ネットブックを買った一人の作った図の出来の悪さに、ほとほと参っています。本人はちゃんと作った!というんですけど、フォントが違っていたりすることが見えない程度の解像度なのか、不思議になります。そういうのを見ていても、ネットブックが欲しいなあと思う今日この頃。寝転んでボケーっと見るに徹するのもいいなあと思ったりしますね。買ったら絶対それでイラストを描こうとすることは目に見えていますが。
なにごとも適材適所であって、精密な作業には精密な道具が必要ですよ、ということですよね。でも、安くて簡単に手に入るものがあるとそれでいろいろ済ませたくなるのもまた自然ですな。そうすると、道具の制約が行動や思考を変えていっちゃうということも起こりそうですな。