ソフトウエアも分解できるようにすれば良い

ブリの刺身をつつきながら日経エレ12/31号を読んでます。特集タイトルは『かっこいいソフトウエア』。なにそれ? 序章の文章が奮っていたので、長めの引用(一部要約)。

かつて少年は誰もがラジオを分解し中身をのぞいた。分解という行為は、あこがれと尊敬、畏怖、そして好奇心の象徴だ。
しかしソフトウエアがもの作りの大きなウエートを占めるようになった今、いくらハードウエアを分解してみたところで、製品に組み込まれたソフトウエアの設計思想は片鱗すら伺えない。
3Kといわれる職場で一生懸命働いたソフトウエアエンジニアたちの成果は誰にも褒められることがないまま消費される。
どうすればソフトウエアものづくりに新たなあこがれを創出できるのかその処方箋を探った

分解が好きなんですね。で、肝心の処方箋は、従来のC言語プログラミングをやめてモデル駆動開発やソフトウエアプロダクトラインを導入し開発効率を10~1000倍に引き上げよう! みたいな話で、ちょっと乱暴な感じもありましたが(1000倍なの!?)、メインの記事である「凄腕アーキテクト」と称される組み込み系開発者のインタービューはおおむね興味深かった。1行に要約しちゃうと、目先の実装作業に汲々とせず方法論から考えろ、というコトですな。

で、読後にひとつ思ったのは、ソフトウエアは分解して見ることができない、という前提は絶対ではないよなあ、ということです。組み込み系でもオープンソースの事例はありますよね。ライセンスによっては見るだけでなく流用もできる。記事でいう「見える」の意味とは違うのかもしれませんが、最終的な目的がソフトウエアの品質と生産性をあげることにあるならば、そういう見え方でも解決できる問題は多いのではないかなー、とか思ってみた。