モヤモヤ感

普段、RasPiは買ったままの基板剥き出し状態で使ってます。でも、Pi3は少し高いし、発熱量も大きいらしいので、保護板と放熱器を装着しました。剥き出しも格好いいけど、こういう格好良さもありますな。

自分がRasPiを使うときは「強力なArduino」みたいに捉えてます。だからいつもヘッドレス。ディスプレイと入力デバイスを繋いでパソコンとして使うことは滅多にないです。自分には必要ないからやらないってだけですけど、気になるのは、パソコンとしてRasPiを提供された児童や学生や教員や研修中の初心者が、Raspbianの画面に向かったとき、なにを感じるんだろう、ということです。自由で楽しい空間と捉えるか、制約だらけの貧弱な環境と捉えるか。スマホと比べるのか、テレビと比べるのか。これを21世紀のパソコンとして提供しちゃっていいの? というモヤモヤ感はありますね。

今年は日本でRasPiが一層存在感を増していく予感がします。ワタクシの習性として、モヤモヤ感のあるものがポピュラーになっていくと、それに対してアンチな自分がムクムクと頭をもたげてきちゃうことがあるんですよ。RasPiについては、そうならないようにしたいなー、と思ってます。素晴らしいコンピュータであるのは間違いないので。