スマートウオッチ

自分が時計をいじるようになってから、コンピュータや時計に詳しい人と会ったときに投げかける質問があります。それは「スマートウオッチって来ると思う?」です。たいていはしばらく考えたあと「来ないんじゃないかなー」という答が返ってきます。「絶対来ないとは言わないが、今のところ来るとは考えにくい」というニュアンスが大勢。

ぼくも数ヶ月前まではそう思ってました。でも、古い機械式時計をいじりながら「未来の時計のことも考えてみよう」と思ったんですね。そして「スマートウオッチは来る」という仮定をまず置くことにしたんです。「来るとしたらどう来るか?」という脳内問答に変えました。

そうすると、スマートフォンの子機という位置づけに限定されないスタンドアローン性が必要だろうな、とか、ケース幅は38mmに収まってたほうがいい、とか、USBで線をつないで充電する方式はヤメましょう、とか、いろいろ各論めいたことは浮かんできます。しかし総論はまだおぼろげ。

そもそも腕時計をしない人は「スマホがあればいらないじゃん」と思ってます。いま腕時計をしている人は、それが好きなのか、スマホでは代替できない必要性があるからしてるんだと思います。高級時計をステータスとして着けている人もいますよね(時計をいじりはじめてその気持ちが少し分かるようになってきました)。スマートウオッチが受け入れられるためには、腕時計はいらないと思っている人の考えを変えるか(A)、いま腕時計をしている人のニーズを満たす(B)必要がある。

いまAとBに分けたのは、この2つに対するソリューションは異なるのではないか、と思っているからです。一度に両方を満たすのは難しいという印象。どちらかというとBのほうがクリアしやすい気がする。そうでもないかな……。いっそAもBも無視して、まったく新しい形態として提案する方向もあるかも。それは腕時計の形にはならない可能性もある。もはやウオッチと呼ぶ意味がない。でもぼくはスマートフォンを電話として使うことはないんですよね(今でもガラケーを1個持ってます)。スマートウオッチが腕時計である必要はないのかも。

昔、腕時計は女性のアクセサリと認識されていたようです。第1次世界大戦の頃「時計を腕に付けると便利じゃん!」と言い出した男達(おもに将校)がいて、そこから腕時計の普及が始まった、というようなハナシを読みました。てことは「スマホを腕につけると便利じゃん!」と言わしめればいいのかな?

今日はもう収束しそうにないので、ワタクシの脳内議論をつらつら書くのはこのへんにしときましょう。実は山手線のダイヤが乱れたせいで乗り換えに失敗し、家に向かう終電に乗り遅れてしまい、ファミレスで時間をつぶしているのです。この店は5時にいったん締まるらしいから、それまでにコーヒーをもう一杯。つづきはまたこんど。