江古田・沼袋原の戦い

1477年に太田道灌と豊島泰経との間で行われた合戦が江古田・沼袋原の戦い。西武線沿線にお住まいの方にはおなじみの地名が2つつながってて面白いんですが、豊島さん的には一族の死命を決する大戦争だったようです。
長尾景春の乱に呼応した豊島氏を鎮圧すべく、まず太田道灌は平塚城(現在の北区上中里駅前)を攻撃します。いったんは追い返された太田勢が増援を得て反撃に転じ、石神井城と練馬城から出撃した豊島勢主力とぶつかったのが江古田川と妙正寺川の合流地点。たぶん哲学堂のあたりですな。道灌は僅か50騎で200騎の豊島軍と戦い、圧倒します。豊島軍は150騎を失って、石神井城に退却。道灌は現在の上石神井3丁目近辺に陣を敷いて包囲し、一時は降伏の交渉を行うものの、包囲の2週間後に総攻撃をかけ、城を落とします。その際、豊島家の姫君は三宝寺池に身を投げたという言い伝えがあるようです。
戦争なので悲惨な話は避けられないのですが、この戦史を読むと、ワタクシにとって馴染み深い地名ばかり登場して、身近な歴史の面白さを感じます。哲学堂は小学校の遠足で歩いて行った公園です。練馬城は現在のとしまえん遊園地で、今住んでいるところから一番近いスタバが豊島園店です。石神井城の跡地は石神井公園。ときどきサイクリングに行きます。道灌の陣地となった上石神井3丁目の近くには、母校である井草高校があります。太田軍の移動経路はなんとなく想像できます。涼しくなってきたので、近日中にその経路を自転車でたどってみたいと思います。