キャスト 桑原滝弥、進藤則夫、峯村純一
プロダクションスタッフ 照明 佐々木真喜子
音響 杉澤守男
美術 あべきようじ
音楽協力 fishing with john
映像協力 宮崎幸司/佐々木誠/木村瞳
制作協力 前山宏和ほか多くの方々に感謝!
劇評から Ms. NO TONE ミズノオト 『ハニュウの宿』

 2001年に、利賀の演出家コンクールで「優秀演出家賞」を受賞した平松れい子さんの舞台をみるのは、白井さちこさんなどの出ていた『ユビュ王』(2003)以来で、楽しみにしていましたが、それはなんとも捉えどころのない不思議なパフォーマンスだったように思います。Ms. NO TONE『ハニュウの宿』もまた、BeSeTo演劇祭の演目として、平日ながら大入り満員の中上演されました。

 客席に入ると、舞台には3枚のパネルが隙間をおいて立てられていました。そして、そのパネルも含め、キラキラする海の映像が、音もなく浮かび上がっています。その静謐なイメージが、開幕後もしっとりと続いていくなか、過剰でもなければ静かでもない、3人の俳優による「ある家族の話を語る3人芝居朗読劇」が展開されていきます。

 パネルかと思っていたのは、長くなった椅子の背もたれで、反対側には俳優が座っていて、俳優は座ったまま移動したりします。3人が、父・母・息子を演じて、息子の結婚に反対するエピソード、その後の出来事として逆上した息子が両親を殺害したという設定での裁判所のエピソード、よくわからない場所でナイフとフォークでものを食べながらおしゃべりをするエピソード、と、おおよそこの3つのものが入り交じるかたちで構成された舞台でした。そしてそれは、ドラマツルギーとか家族とか殺人とか、そういった、ある種のテーマ性へと収斂しないよう、それでいて、それらに真っ向から抗おうというのでもなく、いかにもひょうひょうといった風で、なめらかに、それでいて言葉や状況の違和感からくる手触りを垣間見せながら、言葉が発せられ、時にはシュール・レアリスムを彷彿とさせる不可解な所作を伴いながら、淡々としかし確かに「時間」は進んでゆくのです。

 たぶん、こうした舞台から感知できるものは、声高に発せられたメッセージや世界観とはほど遠いものでしょう。もちろん、題材だけを取り上げれば、結婚・反対・殺人、それに相手が風俗嬢ともなれば、ステレオ・タイプは免れ得ないでしょうし、良くも悪くもそのどぎつさは印象づけられるでしょう。しかし、『ハニュウの宿』には、そういったものがないのです。かつて村上春樹は『ノルウェイの森』の中で、「なにもない」ということをテーマにした歌を緑という女子大生に歌わせていましたが、どうも『ハニュウの宿』もそれに通じるものがあるような気がします。「なにもない」ことの襞を読む、あるいは観る、あるいは聞く、感じる、といったところでしょうか。

 こうした舞台というのは、あるいは事後的に何かを、観客の中でじわじわと育てていくものなのかもしれません。そんな淡い予感を抱きたくなる小品でした。
(松本和也/2004.11.22.)

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