Ms.NO TONE WORKS ミズノオト・シアターカンパニー公演
「洋楽コトハジメ」
ワーク・イン・プログレス#1
〜明治に洋楽を事始めて、J-ポップへ。その深淵を求めて〜
構成・演出 平松れい子
キャスト 熊谷知彦
振付 田村裕子
ドレミ体操・都々逸作曲 早坂佳子
音響 杉澤守男
美術 青木祐輔
アーカイブ 船田巧

【日時】2007年10月13日(土) 2回公演 4:00pm 開演7:00pm 開演
【場所】東京・門仲天井ホール

【概要】
明治に洋楽を事(こと)始めて、J-ポップなる洋楽天国に至る現在までの過程の深淵を探る、ひとり楽劇。
西洋からきた音階・ドレミファソラシの7つの音と、日本で親しまれていた5つの音階。
チェーホフの「煙草の害について」ならぬ「邦楽の害について」語る人物が主人公。
開国以後、西洋のものがたりを生きようとしてきた私たちの先達は、どんな幻想を抱いてきたのだろうか

【メールなどで寄せられたレビュー】
●あからさまではなく、示唆的にこれまで知らなかった事実に気づかせるところに凄みがあり、批評性が感じられた。次作では、更に要素の統合を推し進め、シンプルに美しく作る方向にも期待したい。
●日本古来の音階と西洋からきたドレミ音階の仕組みがわかる歌(楽曲)が面白い。
●俳優・熊谷知彦の魅力もあるし、また「国民身体の近代化」というたぶんに〈国文学〉的なテーマが面白い。ごくささやかに添えられた当日パンフにはいくつかの参考文献が挙げられてもいて、エドワード・サイードの『知識人とは何か』とか、姜尚中の『ポストコロニアリズム』といったものもそこに含まれるが、こうした問題を考えるにあたっては、兵藤裕己先生のいくつかの仕事(『〈声〉の国民国家・日本』や『演じられた近代―〈国民〉の身体とパフォーマンス―』など)も参考になると思う。
●色々な要素がシュールに組み合わさっていながらも、今後の指針のようなものを敢えて示していないところが、現代日本社会を描写する作品として面白い。
●ステージで展開されることが平松演出の描く「日本における音階の近代化」をめぐるイメージに、少し追いついていない印象。
●俳優・熊谷知彦の演じ分ける複数の人格に迫力と色気があり、魅力的だった。
●なぜ邦楽が害なのかストーリーの展開上示すべきであった。
●観客にストーリーを追わせることは、不要であると思う。ストーリーを追うことによって出てきてしまう根拠や疑問などと戦うよりも、この作品で複雑なレイヤーの中から浮かび上がってくる広大な物語性を示していけるはずである。
●入場料はもう少し高くてもよい。なぜならば…
最近フランスの外交官が書いた「アメリカの文化について」という本の抄訳を読んだ。政府が文化政策を持たないアメリカには、世界でもっとも素晴らしい美術館があり、世界でもっとも優れた大学が存在している。それは、なぜか。 アメリカの文化活動の予算を見ると公的資金は、わずか数%、企業メセナも2.5%しかなく、85%は、アメリカ市民が支えている。ヨーロッパでは、芸術を国家が支えているが、それは、国民の強固な支持があってのこと。 日本では、ハコモノには際限もなく、予算をつぎ込む。4000近い公共ホールの建設を国民は容認してきたというのが現実。有楽町にある国際フォーラムの建築費は、1680億円。しかも使い勝手が悪く、維持費だけでも年間20億近くかかる。もし、この1680億円をアート活動そのものに使ったとしたら、日本国民は非難ごうごう間違いなし。 日本人がなかなか時間もお金も使わないのがアート。美術品は投機の対象にはなるものの美術鑑賞はこの10年でかなり後退した(内閣府調査による)。 舞台芸術も同様。 しかし、この週末はハロウィンパーティ、年末近くなるとテレビでも神社の年始お参りの宣伝が始まり、2月には聖バレンタインデー、年末のクリスマスとお祭り騒ぎは続き、結果、その由来を考える間もなく、日本人は商戦に動員されることになる。 佐藤忠男著「草の根の軍国主義」で彼は、「太平洋戦争へと軍国主義をもっとも煽ったのは、軍人でも、財閥でも、政治家でもなく、当時もっとも貧困にあえいでいた農民たちだった」と書いていた。市民ひとりひとりが、どんな人生を歩みたいのかもう少し考えれば、社会は変貌するのは確か。 アメリカの闇は深いが、(アメリカの)市民活動のあり方には、目を向ける必要があると痛感している。

【今後の展開】
今回の第1弾をきっかけに、以後改訂版を発表していき、時間をかけて完成版をつくりあげていきたいと思っています。この企画に伴い、洋楽コトハジメ、出演メンバーを募集します。また、以下批評に対するご意見・反駁も随時募集します。

photo by KEI OKANO
illustrated by Yusuke Aoki (チラシ)

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